当寺の延命地蔵菩薩は丈六仏で、「右田大仏(みぎただいぶつ)」と称される大きなお地蔵さまです。
「丈六(じょうろく)」とは、仏像の法量(仏像制作の基準的な大きさ)を示す略語で、1丈6尺(4.85メートル)の意。坐像の場合はその半分で8尺(2.42メートル)となる。(中略)釈尊のすぐれて尊く、人間の身長8尺(周尺)に対して、その倍量の1丈6尺あったとする信仰に基づく。(中略)大仏の最小の単位とされた。これを基準にその2倍、5倍、10倍、またはその1/2、1/4、1/10などに造られることが多かった。(『岩波仏教辞典』(2002)より抜粋)
この三躯の仏像は、元は下右田にあった大同3年(808)創建の十輪寺の本尊とその脇侍であった。十輪寺は、寛文年間(1661~1672)に右田毛利氏三代目当主毛利就信(もうりなりのぶ)が妹(福原広俊(ふくはらひろとし)室)の位牌を安置し寺号を法輪寺(ほうりんじ)と改めたが、明治維新後に廃寺となり、仏像は法輪寺の本寺であった天徳寺に移され現在まで伝わっている。
延命地蔵菩薩座像は桧材で、総高289.0cm。下膨れの円相やがっしりしたボリュームのある体躯、彫りの浅い流麗な衣文を持つ。後世の修理時に玉眼(ぎょくがん)となり、若干の削り直しや小補材が加えられているが、藤原時代末期の丈六仏(じょうろくぶつ)は山口県下でも珍しく貴重な作例である。
不動明王立像は総高174.5cm。右手に剣を執り、左手は体に添って垂らし羂索(けんじゃく)を執る。主幹部を足柄(ほぞ)まで含め樫一材から彫り出す。古式の板背をのこす珍しい例で、等身大の古式の不動明王像として貴重である。
毘沙門天立像は総高177.1cm。左手は蓮台(れんだい)上の宝塔(ほうとう)を執る形で(宝塔は欠失)、右手に鉾(ほこ)を執る。重厚な趣があるが、動きが控えめで穏やかな均整のとれた姿態である。
制作はいずれも藤原時代末期と思われる。それぞれ彫り方に違いがあり、当初から一揃いであったかは疑問が残るが、かなり古い時期から三尊一具として信仰されてきた。なお、後世に何度も彩色や補修が行われていることが、延命地蔵菩薩像や毘沙門天像に残る墨書銘によってうかがえる。
平成18年11月 防府市教育委員会
天徳寺の大イチョウは、建久3年(1192)に源頼朝が総受寺(現、天徳寺)を建立した記念として、白檀と共に植えられたと伝えられています。
明治3年(1870)の脱隊騒動で兵火にかかり天徳寺が全焼した際、イチョウは幹の西側面を傷つけられはしましたが、800年の樹齢を誇るかのように今もそびえ、県下有数の大樹として市指定の天然記念物になっています。天徳寺を創建当時からずっと見守ってくれている大事な木です。
残念ながら明治3年の兵火により枯死、しばらくは枯損木として立っていました。しかし平成4年の台風により倒れ、現在は本堂西側脇に保存されている。
また白檀は紫檀・黒檀と共に香木として珍重され、「お香」として仏事に使われたり、扇子や香合としても加工されています。
明治3年の悲運な兵火により天徳寺の伽藍は全焼、絵画や古文書など殆ど失われましたが、幸いに絵画・彫刻や工芸品、古文書等が僅かに伝承されている。
開基像や開山像、歴代住職の肖像画(頂相)、懸仏などの工芸品や書跡・典籍類は、天徳寺にとって貴重な宝物(寺宝)である。